円空展
横浜のそごう美術館で行われている「円空展」に行ってきました。
芸術新潮(2004/09)で、円空が特集されて、それからずっと
興味を持ちながら、都心で観ることのできる機会をうかがっていた
のでした。
円空は、1632(寛永9年)年、美濃(現、岐阜県)に生まれ、32歳頃
から入定する64歳までの32年間に、約12万体の神仏像を作ったと
言われているそうです。
横浜のそごう美術館で行われている「円空展」に行ってきました。
芸術新潮(2004/09)で、円空が特集されて、それからずっと
興味を持ちながら、都心で観ることのできる機会をうかがっていた
のでした。
円空は、1632(寛永9年)年、美濃(現、岐阜県)に生まれ、32歳頃
から入定する64歳までの32年間に、約12万体の神仏像を作ったと
言われているそうです。
丹羽文雄さんが亡くなった。丹羽さんといえば、満寿屋の原稿用紙が
生まれるきっかけを与えた人だ。その経歴を拝見すると多くの作家を
育てられたようで、何か作家の神様といえるような、そんな人生を歩
まれたのではないかと思う。
満寿屋の原稿用紙と言えば。色々と思い出がある。学校で作文ができ
ずに、宿題を持ち帰ると、タイミング悪く父親に見つかった。
なぜか、文章にうるさい親父で、脇から見ては口を挟む。そのうち、
手も出てくるのだが、その頃には、学校で配られた原稿用紙は、もう
ボロボロ。
そこで渡されるのが、父の書棚の引き出しから出てくる満寿屋の原稿
用紙だった。「これは高いんだぞ・・・」などと言われ、こちらは、
相当に迷惑なのだが、それでもまだまだ。涙で紙のあちこちにシミが
できるころに、ようやくという感じ。それから清書が始まる。
作文の宿題が出た翌日。クリーム色の原稿用紙がとてもにくかった。
NY在住の韓国人アーティスト、スゥ・ドーホー(Suh Do-Ho)のインスタレーション
を見に、メゾンエルメス8階フォーラムに行った。
エルメスのページにあるように、吹き抜けのフロアに彼の生家の門をイメージ
したナイロン製の作品。
桜の花びらのように、冷たい雪が舞った日曜日、
横浜美術館に「マルセル・デュシャンと20世紀美術展」を
観にいった。
なにも下調べもせず観たのだけれども、なんとなくデュシャンの
「したいこと」「してきたこと」が迫りくるような展示構成でとても
興味をひいた。普段あまり買わない図録まで求めてしまって、
ちょっと興奮気味である。
家にもどって、ネットを検索したらTakさんの「弐代目・青い日記帳」に
すごいレポートとトラックバックの数々があって、デュシャンの
評価や人気を後追いで実感した。今度は予習してから美術館
に足を運びたい。
先日深夜、「詩のボクシング」の全国大会の模様をテレビで見た。
昨年10月に東京のイイノホールで行われたものの、何度目かの
再放送のようだった。この「詩のボクシング」は、各地の地方大会
を勝ち抜いてきたアマチュアの方が、字作品を朗読し、文字どおり
対決するもの。
大丸ミュージアム・東京に「チャールズ&レイ・イームズ」展に妻に連れられ
行ってきた。
僕の知識では、イスのデザインをした人というくらいの知識しかなくて、
それは観た後もあまり変わらなかったのだけど、展示を観て少し
幸せな気分を味わった。
それは、夫妻の使っていた作業机の引出しの中身や資料として撮影
されていたスライドの数々を観たときのことだった。
1月24日(月)まで、松屋銀座にて「京菓子司 末富のデザイン展」
(入場無料)が開催されている。
デパ地下でみるお菓子を階上に据えたらアートになったという訳
ではないけれども、和菓子の意匠にほろり。
散歩がてらぜひ。
京都を旅する機会があったら、お店にも行ってみたくなりました。
河合隼雄の講演会に行ってきた。
学生時代にフルートをされていて、還暦を前に再開された際のエピソードを交えながら
音と心のかかわりを楽しいおしゃべりでお話しされていました。
フルートのレッスンの際に、アンサンブルを行うときには、ほかの奏者の音を意識
し、和音を考慮し演奏することが大切と教えてもらったが、これが心理学のカウン
セリングにも通じるとのこと。
カウンセリングでは、相談者の言葉だけではなく、言葉にならない部分を理解する
ことが重要だそうです。
さらに、続けて楽器を演奏する際には、しっかりと腰を据えることが肝心で、
これもカウンセリングでは、相談者の話に耳を傾ける上で、欠かせないことと
同じであると指摘します。
音を奏でる楽しみの発見と同時に、心の動きから捉えてみると音と言葉の類似点
に驚かされるそうです。
また、岸和田の「だんじり」のような、命がけの「本物の祭」が消えていくことで人々
を発散させる社会的機能が薄まり、その代替として芸術の発展が益々、大切に
なっていると指摘されました。
氏は現在、文化庁長官をされており、講演の中でフルートの演奏も聞かせてくださ
いましたが、こうした方に文化行政が委ねられていることを頼もしく思いました。
雨が降りそうで降らなかった土曜日、買い物がてら、出光美術館に
行ってきました。水道の蛇口の修理に工具が必要になって、なぜか
そのついでに・・・。
ちょうど、出光佐三のコレクションの過程を紹介していて、仙ガイ
や古唐津などが展示されていました。翁の出身である九州とのゆか
りもテーマのひとつのようでした。
仙ガイも、また古唐津にしても、出光佐三の目にふれなかったら、
これほどまでに多くの人が理解することはなかったでしょう。もち
ろん、ガソリンスタンドの塀に○△□が描かれるとは、仙ガイ自身
も想像はしなかったでしょうが、ある芸術が長い生命を手にするた
めには、超一級のコレクターの存在が必要だと強く感じました。
その反面、そのような名声のもに美術商たちが日参する光景を勝手
に想像し、その富に少し嫉妬も覚えましたが・・・。
それでも、並べられた品々から嫌味な感じがせず、すごく品が良く
て、翁の人柄というか、美に対する実直さのようなものを感じました。
仙ガイの作品は非常にコミカルで、かつ迫力に満ちています。不動
明王が描かれた一幅を前に、ずいぶん細かな線で詳細に描写されて
いるものと思い、再び目にしたら、そこにはあの特有の薄墨のふざ
けた線が踊っていました。その奥深さ、墨のみの世界に、見る人を
引きずり込む迫力と愛嬌はとても愉しいものです。
また、田能村竹田の文人画にも出会えて嬉しかったです。九州を巡
る過程で、竹田を訪れた時のことを懐かしく思いました。その旅で
初めて、竹田を知ったわけですが、数年の時を経て、史跡と画家と
作品がつながりました。
版画作品が全国各地から集まるイベントに足を運んだ。そこで、
陶芸体験のコーナーがあったので、参加してみました。生まれて
初めての「ろくろ体験」です。
粘土の用意など、きっと手間と熟練が必要なのに、そうした過程
を経ずして、ろくろの前に座ってしまったのですから、調子の良
い話ではあったのですが、とても良い経験になりました。
先生から、「左手をこう添えて、右手の親指と中指でここをこう
に・・・」「そうそう、ずっとそのまま上にあげて・・・」など
アドバイスをいただき、手も添えていただいているのですが、そ
の意味を頭と手先が理解する間もなく、粘土は回転し私自身の思
いとは違う形を生み出してしまいます。
あまりにも緊張してしまって、手が土に触れている間、息をする
ことは出来ません。土が新しい形を現し、水を求めるまでには、
そう時間はかかりませんが、とても長くしかも凝縮された時間の
ように感じました。
流れに逆らうように手を置き、指の形を変えていくことで、その
器の形がつくられていく。当然のことかもしれませんが、最初に
抱いた陶芸のイメージとずいぶん異なり、力も要しました。
ろくろでの成形を見ていると、回転に合わせて、手は逆らうこと
なく、スムーズに器を作っていくように感じたのですが、実際に
やってみると、まったく異なりました。
何かを成そうとする時、そこには何かしらの摩擦が生じる。それ
をいかに克服し、成していくか。そうな知恵が陶芸の妙と通じる
のではないか。強すぎても、弱すぎてもいけない。主張し過ぎて
も、その器にはきっと自分を出すことはできないでしょう。
少しずつではありますが、土と向き合う時間を作りたいと感じま
した。友だちと体験ツアーなどしてもいいかなとも思います。
最後に、教えてくださった先生ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。
昨日の青梅に触発されて、ずいぶんと前にどこかの画廊で求めた、
手刷り版画のポストカードのことが気になった。
ずっと透明なアクリル版を重ねるタイプの額にいれたまま、和紙が
呼吸も出来ないような状態で閉じ込めていたことを気にしながら、
何もしないでいたことが、急に申し訳なくなったのだ。
ハガキを正方形にしたくらいのサイズに、教会の丸いステンドグラ
スがぼんやりと赤を基調として描かれている。光の帯はただ直進せ
ずに、あらゆる角度に輝き、反射しあう。
教会というのは、こちらの勝手な思い込みで、日輪の下で人々が
踊っているようにもみえるかもしれないし、本当は月光なのかもし
れない。
なんの知識もなく、求めたポストカードだったので、作家名を見て
選んだ訳でも当然ない。ただ手頃で、気に入ったというだけだった
が、作家名を見ると星襄一とあった。例によって、インターネット
で調べたところ、もうずいぶん前に他界している版画家で、戦中か
ら戦後を生きた人だとわかった。
樹木をよく描き、ネットで調べる限り、そのポストカードのような
タッチの作品は見つけることが出来なかった。もしや、この作家の
稀少作品だろうか。打算的な考えで心が躍る。そんなことはあるま
い。ポストカードに貼り付けられた、小品にそんな価値が眠ってい
るとは思えない。若い時の作品を画商が安く買い叩き、たくさん刷
らせたという方が、まだ納得がいく。
ただ不思議なのは、ちっぽけな作品でも、こうして何年か眠り続け
でも、生命を失っていない。そのことがすごく素晴らしく、また、
いとおしく思えた。
値段でも、名前でもない。そうした作品にこれからも出会いたい。
ネットサーフィンをしていたら、小さな部屋の中にわずか残された壁面に
かかっている絵と同じ小品を、あるホームページにみつけた。どうも、
その作家のホームページらしい。
初夏に実った大粒の梅がいくつか描かれたその絵は、ちょうど1年前、
同じように大つぶの梅がスーパーの店先に並ぶ時期と同じくして、
我が家(部屋)にやってきて、薄汚れた白い壁を占拠したのだった。
絵のある生活なんていうと聞こえはいいけど、夏がいつまでも続かない
のと同じで、実はその絵の存在をずいぶんと長く、忘れていた。
そのためか、久しぶりにまじまじと壁を見つめてみると、以前にも増して
愛着を感じる。とても不思議な気分。
その小品はメゾチントという技法で刷られた銅版画。メゾチントといえば
浜口陽三。その作家のホームページにも、憧れの作家として浜口が
あげられていた。
調べると、水天宮付近に美術館があるという情報も入手。
初夏の青い実が、時を経て少しアートな気分を僕にプレゼントしてくれた
ようである。いつか、その美術館に行ってみたいと思った。
仕事で土曜の朝、横浜へ
みなとみらい駅からクィーンズスクエア内を通過
朝日が差し込む壁面に シラーの言葉がつづられていた。
ジョセフ・コスース作 「The Boundaries of the Limitless」
詳しくはQueen's Squareの作品紹介のページをご覧ください。
シラーって誰だろうという事で調べてみると、ベートーベンの第九に名前をみたりと、
結構有名な人であることがわかりました。
言葉の力はすごい。文字通り、ここではその行間も黒い御影石の中に表現されて
います。著作をみつけたら読んでみよう。
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